少女のもつ美への憧憬~バルテュス展をみて~

2014年6月22日
 2週間前に上野の東京都美術館でバルテュス展をみた。よく着物がお似合いの節子夫人や、レマン湖沿いの美しい街に住んでいたという事実が印象的な画家だった。今回死後初めての大回顧展ということで出かけてみた。
 バルテュスの作品には、少女の絵が多い。下着や裸体をさらして、のけぞるようなポーズや鏡に写る自分の姿を見ているポーズも多い。実際にバルテュス展でたくさんの絵画をみていたら、少女の性器をまざまざと描いているものも多かった。それでいてどの絵も静寂のなかに品があり、かつオーラがあった。なぜ、あんなにも大胆なポーズで少女の裸体を描きながら、上品で静謐なのだろうか、と消化不良でしばらく過ごした。
 女性器を生々しく描いた、オルセー美術館のクールベの絵画を思い出した。黒々とした女性器と下腹部を脚を開いた状態で描いた作品だ。みたときはかなりぎょっとしたが、作品名をみて妙に納得した。L'Origine du monde、「世界の起源」だ。全ての人間は女性器から生まれるのだと思うと、そこにいやらしさを感じることがむしろいやらしい、そう思った。しかしバルテュスの女性器はなんなのだろうか・・。どの絵画もかなり性器や乳房、太ももをはっきりと描いているが、いやらしさはない。乳房はふっくらしているが、性器はいずれも無毛であどけない。表情は淡々と、男性を挑発する蠱惑さなどはなく、自らを静かにみつめている。
 後半生でバルテュス自身は「少女はこの上なく完璧な美の象徴」「神聖かつ不可侵の存在」「少女のフォルムは、まだ手つかずで純粋」なのだと言ったそうだ(節子・クロソフスカ・ド・ローラ、夏目典子他 「バルテュスの優雅な生活」新潮社とんぼの本 2005)。描かれる少女達は、みなバルテュスの憧憬の対象なのかな、と感じた。クールベの成熟した女性器は大地を思わせる豊潤な様相だが、バルテュスの無毛の女性器は固く侵しがたい神秘性を持つ。少女はエロスの対象というより、一瞬の美を輝かせる不可侵の存在。「絵を描くことは、祈りのようなものだ」とも言っている。バルテュスは少女の持つ生のエネルギーや女へと成熟する一瞬前の美を静かに祈るような思いで見つめたのだろうか。鑑賞して2週間ほどしてそう考えついた。もう一度見に行って確認したい、そう思ったが、残念ながら本日22日でバルテュス展は終了。次の機会に、またじっくりと鑑賞したい。

バルテュス展

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Author:bordeauxlyon
のびやかな筑波山の麓に在住。ガーデニングとワイン、旅が生きがい、そして趣味は美術館巡りと短歌です。
美しい花や自然、アートに満たされた日々で、心地よい豊かな日々を過ごしたいと思っています。
花と画家のなかでも大好きなクレマチス、マティスを冠して、日々の暮らしについて語ります。

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