2014年12月15日
クリスマスが近づき、街はツリーやリース、ジングルベルにあふれて何となくお祭り気分。それもまたよいが、ヨーロッパの様々な教会の思い出に浸り、キリスト教やその文化に思いを馳せたくなる12月である。印象的な教会はたくさんあるが、今年訪れたバルセロナのサグラダファミリアは素晴らしかった。

建築に着工してから130年、まだまだ完成に至っていないという事実や、迫力ある外観が有名だ。

建築工事中のひと。

側廊の小尖塔。キリスト教の精霊のシンボルは、春と夏の果物で表現されるそう。
無数にある建築物外側の彫刻やファサードは、そのままイエスキリストの生涯を象徴している。下は受難のファサード。ゴルゴダの丘を十字架を背負って歩くキリスト、恐ろしい雰囲気の兵士たち。胸を突かれるような彫刻だった。

外装の彫刻も素晴らしかった。だが、実際に訪れてなにより私が感動したのはその内部のすばらしさだった。そもそもサグラダファミリアとは「聖家族」を意味し、この建築物全体で一冊の聖書を示すという。外観はこれまでも雑誌やテレビで何度も見たことがあったが、旅で実際に内部をじっくりと鑑賞し、そのすばらしさを経験した。

まず内部に入って圧倒されるのは、これまでの教会内部のイメージを打ち破るような空間。樹木をイメージしているという幾本もの柱、ひまわり色の天井に囲まれている。すがすがしさの中に明るさがあった。暗いなかで、いかにも罪を告白させられるようなゴシックやロマネスクと比べて、なんという違いだろうか。明るいのに、しかし荘厳さに充ちている。圧倒された。
周囲は素晴らしいステンドグラスに囲まれている。これもよくあるバラ窓や、キリストの逸話をモチーフとしたものではない。抽象的なデザイン、夕陽や海の青、森の緑を思わせる幻想的な美しい色のステンドグラスが並んでいた。バルセロナ出身のガラス職人、ジュアン・ビラ・イ・グラウという人の作品ということだ。その美しさに心奪われ、なんどもなんどもステンドグラスの前を通って味わった。



祭壇には、美しい天蓋の下に十字架にかけられたキリストの姿がある。教会のどこからでも眺めることができるが、祭壇前にしつらえられた椅子に座り、じっとその姿を眺めた。人間の罪を代替わりして十字架に存在するキリスト。その姿は、先の神秘的な柱やステンドグラスに守られるようにあった。明るい中に見えるその姿に、なんともいえない荘厳な気持ちになる。原罪をはじめ、生きていく中で多くの罪を持つ人間。キリストの重要な教えには「許し」があると思うが、この聖堂では人は悲壮に許しを乞うのではなく、ただひたすらに祈ることで神の愛に満たされ浄化される、そんな気がした。

天井のひだのようなところに美しい色のグラデーション。ステンドグラスの光が反射して独特の色合いを醸し出しているらしい。その美しさにもまた感動。

聖堂の柱の連結部分にある絵。福音史家のシンボルを示している。4つのシンボルのうち、これはルカ。

これらの他にも、様々な聖書のモチーフが、ガウディとその遺志を継いだ人々によってサグラダファミリアを作り続けている。ごく普通の教会を眺めるのが好きだった私。実際に訪ねるまでは、さほどサグラダファミリアに興味を持っていなかった。バルセロナに行くなら、一番の観光名所に行かなきゃ。そんな軽い気持ちで訪れた。ところが待っていたのは、圧倒される構造物、独特の装飾の中にあるキリストの愛と癒やしだった。うまく言葉で言えないが、とにかく素晴らしかった。
こんな思わぬ大きな感動を得られるのは、旅の醍醐味である。
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