柊で鬼を払い、春を待つ

2015年2月3日
 今日は節分。庭の柊の枝を飾りにした。日陰にもかかわらずすくすくと生長した斑入りの柊だ。堅い葉っぱにはとげとげがあり、触れると痛い。狭い通路いっぱいに伸びたため、毎日通る家人にとげがささる。だからどんどん剪定するが、すぐに枝は伸びて、棘も元気いっぱい。なるほど、鬼や邪気を払うと言われる意味がわかる。
 ところでずっと昔、やはり節分の日の新聞に、「読者に聞きました、あなたにとって鬼と福はなんですか?」という特集記事があった。やれ嫁だ、姑だという意見もなくはなかったが、最も多かったのは、鬼は病気、福は健康という意見だった。対象となった読者は、壮年から老年期の方が多かった。自分や大切な家族の病気を経験し、健康のありがたさと病気のつらさをしみじみと述べていた。
 日本人の死亡率ナンバーワンは悪性新生物、つまりがんであり、平成25年のがんによる死亡総数は36万4872人、全死亡総数に対する割合は28.8%である。日本人の3人に一人ががんで死亡する。がんによる死亡率は年々増加し、昨年比+3.7%である(厚生労働省 人口動態調査結果の概要 http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/kakutei13/index.htmlより、第6表) つまり現代人にとって最も怖れるべき鬼は、がんといえるだろう。だが生物である限り、死は免れることはできない。がんが鬼といえる理由は、死そのものというより、がんによって起こる様々な苦痛症状や機能障害、そして不安や抑鬱などの精神的苦痛、社会的な結びつきの減退による孤独感、更にそれらによる生きる意味や存在価値の揺らぎではないだろうか。長年、がん医療に携わり、そう実感している。
 そんな鬼ともいえるがんなのだが、意外なことに多くのがん患者から「がんになって良かった」という言葉が聞かれるのもまた事実だ。ぽっくり逝きたいと多くの人が望むに反し、各種の治療法が進歩した昨今、がんと診断されてから、かなり長期間生存することができる。がんと共存して健やかに生きるという意味で、がんサバイバーという言葉もあるくらいだ。その間にがん告知や治療を経験し、毎日のささやかなことがいかに自分にとって大切なことか気付いた、というのである。淡々とした日々の営み、家族やペットとの当たり前の交流、自分で自分の身体を自由に動かすことが出来る、そんな何気ないことが、いかに大切で大きな喜びなのか感じ、そしてまた目の前のことを大切にして日々を生きていく。そんな姿に、人はどんな状況でも喪失と再生を繰り返し、死の瞬間まで成長を遂げていくのだと感銘を受ける。鬼がいたから、真の幸福に気付けたというのが、「がんになって良かった」という意味なのだ。
 柊は確かに棘がたくさんあって、鬼や邪気を寄せ付けない、あるいは痛めつけてくれそうだ。だが、厳しい剪定をしても負けずに伸びる生命力、やたらと丈夫な葉っぱの厚みと棘の強靱さは、生命力を象徴するかのようでもある。節分には、春を祝うという意味合いもある。厳しい寒さの中で春を待つ祭り。どんな状況にあっても必ず穏やかで温かい春がやってくると信じて、毎日を過ごしたいと思う。 
 

節分の飾り2015

テーマ : ガーデニング
ジャンル : 趣味・実用

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Author:bordeauxlyon
のびやかな筑波山の麓に在住。ガーデニングとワイン、旅が生きがい、そして趣味は美術館巡りと短歌です。
美しい花や自然、アートに満たされた日々で、心地よい豊かな日々を過ごしたいと思っています。
花と画家のなかでも大好きなクレマチス、マティスを冠して、日々の暮らしについて語ります。

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