リスボン旅日記③ カトリックの祈り

2016年8月1日
 ポルトガルはカトリックの国。国民の約90%がカトリック教徒とのこと。中世以降ポルトガルの歴史は、大航海とキリスト教の拡大を抜きにしては語れない。
 8世紀以来のイスラム支配からレコンキスタを経て、イベリア半島最南端のグラナダが陥落したのは、コロンブスがリスボンを出航する直前の1492年。1494年のトルデシャリ条約により、1500年にポルトガル人カブラルが漂着したブラジルはポルトガル領となる。1497年ヴァスコダガマによるインド航路発見を記念し、1502年にリスボンのジェロニモス修道院造成が着工された(300年かけて19世紀に完成)。1534年に始まったイエズス会が世界宣教をテーマに活動を開始、ザビエル(スペイン人)がアジアを目指してリスボンを出航したのは1541年だ。インドのゴア、マラッカを経て日本に到着したのは1549年。その後アルメイダ(1552年)、ルイスフロイス(1563年)、カブラル(1570年)と、イエズス会の宣教師達は次々と日本を訪れているから、ポルトガルの宗教史・大航海時代と日本とは繋がりも深い。
 自分の知識の整理も兼ね、話が長くなってしまったが、とにかくポルトガル人のキリスト教に対する思いは精力的と言える。リスボンを旅して、この精力的な信仰を様々な教会建築で確認することが出来た。

ジェロニモス修道院南門
 まずは、前述のジェロニモス修道院。リスボンのベレン地区にある世界遺産。
 
 修道院最大のみどころ、回廊。壮麗で美しい・・・ため息ものの精緻さだ。
ジェロニモス修道院 中庭 ジェロニモス修道院回廊を覗く

ジェロニモス修道院回廊アーチ ジェロニモス修道院アーチの模様
 バスコダガマの石棺。
ヴァスコダガマの石棺
 

 こちらはリスボン、アルファマ地区にあるカテドラル。リスボンをイスラム教徒から奪回したアフォンソ・エンリケスにより作られた。1755年リスボン大地震にあっても崩壊せず、現存している。薔薇窓の下には美しい壁?があるが、イスラムの細密画に似ていると思ったのは私だけだろうか。ほら、高級絨毯の模様に似ている。
アルファマのカテドラル カテドラルの薔薇窓、細密画のような壁

 バイロアルト地区にある、サンロケ教会。1584年、こちらは日本の天正遣欧少年使節が一月ほど滞在したという。あまりの壮麗さに感激したそうだが、残念ながらリスボン大地震で破壊、現在あるのは再建されたもの。
サンロケ教会

 市場近くにあるエストラーデ聖堂。そして、名前もよくわからないホテル近くの小さな教会。いずれでも、市井の人々が通勤前とおぼしき短時間で祈りを捧げていた。
エストラーデ聖堂 市場近く ホテル近くの教会

 リスボン近郊の街、パルメラにあるサンチャゴ修道院。やはりリスボン大地震の影響で破壊されている。こちらは修復されずに、そのまま残っている。はがれ落ちたアズレージョの青タイルが、哀しく美しい。
パルメラ サンチャゴ修道院 サンチャゴ修道院のアズレージョ

 テージョ川の南側にある巨大キリスト像、クリストレイ。リスボン市内、テージョ川クルーズなど様々なところからその姿が見えた。
IMG_5244.jpg クリストレイ

 どこを訪ねても、キリスト教の祈りが浸透しているリスボン周辺。大航海時代の豊かな富により、作られた教会も多いのだろう。いずれも壮麗で美しかった。この大航海時代に、それまで地域に独立していた東西諸文明の交流が始まった。それ以来、世界は相互関係を緻密に重ねながら、現在に至っている。荒っぽい考えと揶揄されようが、私はどんな宗教でも、人の幸せを願い祈る、その根幹は同じだと思う。互いの考えや文化を尊重しながら、その祈りを重ねていきたい。それが、遠つ国の教会やモスクを旅する醍醐味だ。
 平和で穏やかな世界のために、ポルトガルの教会で祈った。

テーマ : 海外旅行記
ジャンル : 旅行

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Author:bordeauxlyon
のびやかな筑波山の麓に在住。ガーデニングとワイン、旅が生きがい、そして趣味は美術館巡りと短歌です。
美しい花や自然、アートに満たされた日々で、心地よい豊かな日々を過ごしたいと思っています。
花と画家のなかでも大好きなクレマチス、マティスを冠して、日々の暮らしについて語ります。

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